秋祭り |
秋の収穫を祝い、感謝するお祭です。
神社のまわりは田園風景がひろがり、氏子内も農業を営んでいる方が多くおられます。
10:00より祭典。
10:45より子供神輿宮入、飴撒き・天狗踊り・獅子舞の奉納が行われました。
午後からは氏子壮年会によるイベントが行われました。
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2006年 10月 17日
10月15日-秋祭り
秋の収穫を祝い、感謝するお祭です。 神社のまわりは田園風景がひろがり、氏子内も農業を営んでいる方が多くおられます。 10:00より祭典。 10:45より子供神輿宮入、飴撒き・天狗踊り・獅子舞の奉納が行われました。 午後からは氏子壮年会によるイベントが行われました。 #
by wakeasomi67
| 2006-10-17 10:39
2006年 10月 04日
明治6年、八幡和気神社神主の行本吉盛は同社境内に末社として護王神社(和気宮)を勧請した。
清麻呂公から61代目の後裔であると勧請申請書に述べ、認可された。 正面に正一位護王神社、右に和気清麻呂卿とみえる。 #
by wakeasomi67
| 2006-10-04 09:30
| 和気氏関連・赤磐市
2006年 09月 22日
延暦3年に和気公が宇佐八幡宮の分霊を勧請し、以後、子孫が代々宮司を務め、現在に至ると伝える。
天文17年に小野田茂行が再興し、天正年間には浦上正宗が社領として田地五町八反を寄進した。 本殿の横にある末社護王神社は明治6年に当社の神官行本吉盛が和気公を尊崇して、奉祀したものである。 また、神社近くの殿谷には和気氏の末裔が住むと伝え、和気公に与えられた土地(和気地、和気田)は松木村が中心地であったともいう。 (平成3年12月1日清心第8号) 私の父まで66代にわたり奉務した神社。 江戸時代は八幡大菩薩和気宮と称した。 現在の鳥居の先代の鳥居は岡山藩主池田候の寄進。 隣接する殿谷村の行本氏は和気氏の末裔と伝えられる。 私から数えて6代前の行本吉盛(幕末~明治)のときより当家は「小森」姓を名乗る。 前述の「水分神社」の「こもりさま」信仰に因むというが定かではない。 #
by wakeasomi67
| 2006-09-22 12:33
| 和気氏関連・赤磐市
2006年 09月 06日
(引用)
秋篠宮妃紀子さま(39)は6日午前8時27分、入院先の総合母子保健センター「愛育病院」(東京・南麻布)で帝王切開手術を受け、男のお子さまを出産された。 皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに次いで第3位。男子の誕生は1965年11月の秋篠宮さま以来41年ぶりとなる。 宮内庁によると、お子さまは身長48・8センチ、体重は2558グラムで、母子ともにお健やかという。 紀子さまは胎盤が子宮口の一部を覆う「部分前置胎盤」で、早期出血が心配されたことから8月16日にご入院。胎児が十分に発育する妊娠37週目を待って、この日に帝王切開手術を受けられた。手術は主治医の中林正雄・同病院院長が執刀し、麻酔科や小児科の医師ら12人体制で行われた。 (読売新聞) 一国民として心からお祝いいたします。 万歳! #
by wakeasomi67
| 2006-09-06 10:00
2006年 09月 04日
地の氏神である水分(みくまり)神社境内に小石を盛った古い墓があり、広虫姫の墓と伝える。
地元では「こもりさま(子守様)」とも呼ばれている。 境内に古い井戸があり、水分とは水を配る、即ち、分水嶺を司り、水源を守る神である。 これと御子守(みこもり)の音が似ていることから子守信仰が生まれたらしい。 その上に、孤児を収養して育てた広虫姫とが混合して、姫の墓と言われているのか。 当社は子守八幡宮とも称す。 また、この古墓は一説には和気公の子、真綱の墓ともいわれ、本殿裏に小さな石祠があり、そこに束帯姿の陶像があるのはそのためか。 (平成13年6月15日清心第27号) 奥に束帯姿の陶像 境内に「末期の水」という井戸があり、昔、日照のとき村役人がここの水を一杓ずつ枯死寸前の稲田へふりまくと、たちまち大雨が降ったという伝説がある。 赤磐郡史では、元は真綱の墓に奉仕するために建てられた祠がはじまりといい、熊山町誌では、小塚を「子守さま」といい広虫姫の墓と言い伝えている。 このほかにも社殿の周りには石を盛った塚が数ヶ所あるが、何なのかはよくわからない。 #
by wakeasomi67
| 2006-09-04 14:05
| 和気氏関連・赤磐市
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