清麻呂・広虫墓 (赤磐市松木(旧赤磐郡熊山町松木)字姫顔) |
昔から清麻呂様、清麻呂塚として地元で信仰を受けていた。
昭和十五年に境内が整備され、石燈籠、「和気清麻呂墳墓之地」碑、備前焼の公の像が建てられた。
なお、佐古は八幡和気神社ちかくの殿谷には和気氏の末裔が住むと伝え、公に与えられた土地(和気地、和気田)はこの松木が中心地であったともいう。
公の出身は当地という説もあり、この墓は崇敬の表れである。
(平成13年6月15日清心第27号)
地元の伝承では
「清麻呂も広虫も松木付近で生まれ、一度都に上り朝廷に仕えて出世したが、晩年は松木に帰り余生を静かに送り天寿を全うして逝去した。これがその墓である。」と伝わる。
旧熊山町教育委員会の設置する説明板には
「和気公の分骨は備前美作の国に埋められたので、ここにも分骨が埋められたと考えられる。」とある。
一つの伝承だが、清麻呂公の故郷の人々の深い尊敬心の表れであるといえる。
しかし、熊山町教育委員会のいう「備前美作に分骨された」というのはどの資料に基づいているのだろうか?