神根(こうね)神社(備前市吉永町《旧和気郡吉永町》神根本字西谷) |
前者は和気氏の始祖、後者は和気氏本性であった磐梨別公の祖とされている。
創建時の祭神はそうであったかもしれないが現在では木花咲耶姫になっている。
当社の初見は「三代実録」の貞観7年の頃で、もと現在地の東方、字古美山に鎮座し、建久年間に今の地に移った。
(平成3年12月1日清心第8号)
旧の和気郡(現和気郡・備前市・赤磐市の一部)唯一の延喜式式内社。
初見は「三代実録」(901)で、貞観7年(856)の条に「備前国神根神に従五位下を授ける」とある。
祭神の変遷がかなりあったが、もともとは和気氏の氏神として建立されたことは間違いないであろう。
元は現鎮座地の東方の古美山に鎮座していたと伝わるが、それらしき所や古代祭祀跡などが見当たらない。
現鎮座地の後ろ山は高く深く、山上近くには磐座がつづき、水神・竜王神・山の神を祀った跡があり、「神道山」と呼ばれている。
むしろ、こちらの場所を神聖視し、山上近くに鎮座していたのが、時代とともに山麓に遷座したのではないだろうか。
しかし、和気氏本拠地からも遠く離れ、街道からも離れたこの山中を何故選んだのか疑問である。
軍事的配慮ではないか、とか諸説あるがいずれの説も立証できる遺跡・遺物も発見されていない。