神護景雲三年、和気公が大隈国へ流される途中、宇佐八幡宮に詣でたとき、竹和山南麓の温泉に浴すと道鏡に切られた足が治ると神託があった。
そこでこの泉につかると数日して足が立った。
ここから竹和山を足立山と称し、この温泉を一生水と名づけた。
和気公の足が治った翌年、宝亀元年に四男の磐梨妙運が祈願をこめ、弘仁八年に真綱が先祖である鐸石別命と公の神霊を合せ祀った。
これが足立山妙見宮の起りで、妙見神社ともいう。
明治に御祖神社と改め、戦後、妙見宮を再称した。

昭和四年、猪に乗った和気公の銅像が建てられたが、同十九年、銅鉄の供出により取り除かれた。
その後、同二十八年、石像として建立された。
当社は足立山西麓にあり、足立山森林公園として整えられている。
(平成6年12月1日清心第14号)
御祭神(主祭神)
天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神(造化三神)
鐸石別命、和気清麻呂公命
創祀
和気清麻呂公が創建した唯一の神社と伝わる。
宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)で、清麻呂公が持ちかえった神託により皇統は護られたものの、道鏡の怒りをかった清麻呂公は大隈国(現在の鹿児島県)へ流される。その途中、道鏡の追っ手から足の筋を切られた公は、たちどころに現れた猪に助けられ、宇佐の神前へと導かれ、再び神のお告げをうけた。そのお告げどおり竹和山(現在の足立山)のすそにある石川村(現在の湯川村)の霊泉に浴したところたちどころに足が治った。足が立つ、足立の名の起こりとも伝えられている。
公は、この足立山に登り、北辰尊星妙見大菩薩に皇統の安泰を祈ったところ、妙見大菩薩が降臨し、願いをききいるとお告げがあった。翌年、皇統は安泰し、道鏡は失脚、公も都へ呼び帰される。そして、公は四男磐梨妙運をこの地におくり、足立山妙見宮を創建した。その後、下宮足立山平癒寺を建立し、また三男真綱が父清麻呂公と祖先の神霊を合わせ祀った。
明治以降、神仏分離令により、上宮足立山妙見宮並びに下宮足立山平癒寺を御祖神社と改称し、昭和20年以降、足立山妙見宮を再称した。
(妙見宮由緒書きより抜粋)
6月の末に中国地区の神道青年会氏子青年会の合同研修会が下関であり、その帰りに参拝。禰宜さんとは何度かお会いしたことがありますが、参拝ははじめて。よく来られた、と突然の訪問にもかかわらず、お茶や茶菓子を振舞っていただき、手土産まで頂きました。
こちらの宮司さん禰宜さんは磐梨さんと言われ、前記の創建に係られた磐梨妙運の末裔にあたり、代々当宮に奉仕されてこられた家柄。和気氏は本姓を磐梨別公といいます。今の岡山県赤磐市熊山町のあたりが磐梨という地区で、元々ここを中心にしていたことが伺われます。(赤磐とは赤坂と磐梨を合わせた新しい地名)現在岡山でも磐梨姓はなく、遠く北九州に脈々と受け継がれています。